私は、1981年(昭和56年)東京から鴨川市にUターンし亀田総合病院に勤務しました。その後独立し、起業し様々な事業を起してまいりましたが、その過程において行政の許認可等においては民間と行政の感覚的相違が「壁」となり、民間側としては活力を失ってしまうことがしばしばございました。
この「壁」を乗り越えるには、行政に入り込むことが必要であると考え、2003年(平成15年)市議会議員に立候補し当選させていただきました。
ところが、市行政においては、県からの影響力が強く思うように事が運ばない、という新たな壁に直面しました。
2006年(平成18年)、齋藤美信当時県議が引退され、後継として千葉県議会議員に立候補、当選させていただきました。
県議会議員となり、県行政内を自由に横断し各方面から情報収集、または情報発信することで県と市のパイプ役を担い、時に「浜田靖一代議士」のお力添えにより、県を超えて直接国における主幹担当者と直接会話し、何が真に必要かを説明し、難関を乗り越えたことも幾度かございました。
そのような中、最終的には「市行政」が国・県と民間との壁が取り除かれた時、市が実行に移すことを見届け、前進させることが使命であると強く認識し、2016年(平成28年)鴨川市市長選挙に立候補いたしました。
また、市長を選挙で選出することの重要性を市民の皆様に今一度ご理解いただきたいという思いは何より強いものがありました。
初登庁から間もないある日の庁内会議で、「市民の生命と財産を守ることが市行政の使命」と発言がございました。
そのように真剣に市行政に向き合う職員の意志に感心するとともに、公約として掲げた行財政改革を成し遂げることの重要性を、改めて決意すると共に鴨川市を経営する視点で、財政健全化を最重要事項とし「強い鴨川づくり」を目指し、市民参加による事業仕分けをはじめ、職員組合の理解のもと職員給与カットも行いながら、市行政一丸となって突き進んでまいりました。
財政改革は生き物です、現在においても鴨川市においては最重要課題です。
市長としての任期中「国保病院」「中継施設」「小湊さとうみ学校」他施策実現に際し不本意な情報が蔓延し、その影響で市議会との調和を維持することが困難な状況となり、議会運営が空転する状況に至りました。
この状況に終止符を打つには、自分自身が退くほかないと判断し、次世代に託すべく職を退きましたが、約16年間の地方政治経験の中、国・県の関係者、他方に及ぶ企業・団体の方々とお付き合いさせていただき現在に至っております。
鴨川市では、これまで話し合いによって市長を決定する風潮がありました。しかし、私は、市長という重責を一部の思惑に委ねるのではなく、候補者が具体的な公約を示し、その内容を基に市民が選挙を行うべきだと考えます。市民に選ばれた市長は、その公約を実現する責任を果たすとともに、その進捗や結果を市民に報告し、透明性を確保する必要があります。このプロセスを通じて、市民がその是非を判断できる仕組みを整えることで、市民と市長が一体となり、より強い鴨川市を築けると信じています。
最大の課題である人口減少と少子高齢化の解決と鴨川の魅力を再認識し「市民の生命と財産を守る」ことを使命とし、安心・安全に過ごせる街、そして、次世代が希望ある未来を創造することができる基盤づくりが私の使命と思っております。 地方創生の波に乗り遅れないよう、鴨川市における根幹ともいえる第1次産業を守り発展させることを中心に考え強固な行財政基盤を構築してまいります。
2024年12月1日 亀田郁夫